数日前にtumblrで回ってきたので持ってきた。
「新・流れ武芸者のつぶやき」さんより。
その昔、29~39歳までの10年間、空手道を中心に稽古をしていた頃のこと。
とある先輩が、こんなアドバイスをしてくださった。
「社会人ならば、毎日稽古ができなくて当たり前。道場にだって、毎週なんて通えないよな。それでも工夫次第で、いろいろな稽古ができるんだよ。そ れでもどうしても、1日の中で、たった5分の時間もとれず、何もできない日も必ずある。そんな日には、3回だけでいいから、全力で正拳突きをする。3回だ けでいいから。たったそれだけでも、何もやらないのに比べたらぜんぜん違うよ」
この先輩は、某有名企業勤務でとにかく多忙な人だった。このため道場の稽古には来たり来なかったりだったけれど、地稽古はとにかく強かった・・・。
また私の古流の旧師は、稽古場でよく、こんなことを言っていた。
「道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃないんだよ」
自分含め多くの方がそうだと思うけど、毎日毎日道場に顔出すってのはなかなかできないっすよね。柔術で言ったらエビなのかな、1日3回ちょっとやってみようかと思った。これができるってことは常に練習のことが頭にあるってことなんだろうな。
ただ、最後のが未だに意味が分からない。”練習”ってなんだろう。
自分にとっては技を習うのも、スパーリングも、打ち込みも、みんなであーじゃないこうじゃない言い合うのも”練習”だと思っているのだが、この先生の言っている”練習”ってなんだろうか。 Tweet
4 件のコメント:
平直行さんのブログに、同じ言葉が書かれていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/strapplestrapple/52795115.html
このことが、この古流の旧師が言われていたことと同じなのか、それは不明ですが…。
「習う」のと、「学ぶ」ということの違いも重要だと思います。
あと、柔術魂3の門脇選手のインタヴューに出てくる門脇選手や塩沢正人のエピソードも近いのかなと。
とにかく、いつでも、どこでもイメージし続けてるっていうのが。
コレ面白いですね。今はパッと流し読みしただけですがちゃんと読みます。
柔術魂3もあとで引っ張り出します。
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