グレイシー柔術の創設者である、カルロスとエリオ・グレイシーの黒帯、エメテリオ氏が11月11日未明、心臓発作のたサン・パウロ市内の病院で86歳の年でお亡くなりになりました。
(注:11月11日となってますが、おそらく10月の間違い)
数少ない、赤帯の段を取得した彼は60年代で活躍し、柔軟性に長けていたため、相手のバックを奪うので有名でした。動きが柔らかくネバネバしている様に見えたため、彼についたあだ名は”キアボ”(ポルトガル語で野菜のオクラを意味する)。
ブラジルの北にあるセアラ市で生まれた彼は、そこでグレイシー柔術を習い、サン・パウロで自分の道場で指導をしていた。
カルロスとエリオ・グレイシーから教わったグレイシー柔術の強さを証明するため、数々の相手に挑み、異種格闘技で様々な大きさの相手に勝っていた。
カルロス・グレイシーの一番弟子と言われていて、師匠達の名誉を守るためなら、どんな相手とでも試合をすることで有名でした。(JJFJ公式より)ペドロ・エメテリオ(今まで"ヘメテリオ"って思ってた)というと
柔道家の石井千秋氏との関わりが深い。
ブラジルに帰化し、ミュンヘン五輪で銅メダルを獲得した氏の
寝技の師匠にあたるのがエメテリオ。
石井氏は東京五輪代表も狙えるほどの強豪だったものの
予選で岡野功に破れ五輪を断念。
そのままブラジルへ渡って農業の勉強をしていたらしい。
オリンピックが五輪の正式種目になったことで
ブラジルでも柔道はブームになりつつあって
ブラジルに行った年に柔道の全国選手権が開催。
で、石井氏出場。
当然だけどブラジル人では相手にならない。なるワケがないw
この活躍で有名人になり、それ以来柔道ツアーを決行。
当然連戦連勝。
ブラジルから遂には南米中まで柔道のデモンストレーションで周り、
サンパウロに戻ったところでエメテリオと知り合う。
で、当時の時点で寝技ではエメテリオには全く歯が立たなかったらしい。
引用した文にもあるように身体が異常に柔らかくって
抑え込んでもスルスルと脱出してバックへ。
そしてチョークとアームロックのダブルアタック。
「エメテリオが柔術を教えて、石井氏が柔道を教える」
という関係だったらしいけど、いざ立ちでスパーすると
跳び付きクローズからクロスチョークをやってくる。
このエメテリオとの寝技の練習は石井氏をさらに強くし
後の柔道に大きく影響を与えた、と本人も語る。
最終的には五輪でメダル獲得にも繋がってるワケで。
(日本から"全日本チャンピオン、ブラジルへ来たる!"
ってことでノコノコ来た使節団をフルボッコにしてたらしいww)
石井氏曰く「エメテリオの全盛期はエリオより強い」とのこと。
ヒクソンに多くの技を教えたのもエメテリオらしいし
何より、エリオをKOしたヴァウデマー・サンタナも
エメテリオの挑戦はついに受けなかった。
(カーウソンとはやったけど)
偉大な赤帯柔術家が亡くなってしまいました。
R.I.P.
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4 件のコメント:
これで赤帯はアウヴェス先生だけになってしまったのですかね?
赤帯特集やりますかw
実は10人以上います。
私も誤解していたのですが、、、
「柔術に貢献した一族の者しかなれない。これ以上は授与しない」
とされているのは"10段"であって赤帯じゃないみたいなんです。
(赤帯は"9段"から)
だから、ホリオンとかホブソンとかフラビオ・ベーリンギとか、スブービオ系のファダさんまで赤帯なんです。
さらに追加。
なのでエメテリオもアウヴェス先生と同じで9段でした。
現在達することのできる段位としては最高峰ですね。
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